−辞書を手配

07年10月の肺がん手術をきっかに、日記を書きはじめた。5年日記を買えば良かったが遠慮して3年日記に留めた。ボケ防止になるべく漢字でと思うがままならぬ。最近までは読むほうは何とかなると思っていたが、森村誠一の「密閉山脈や分水嶺」に読めない字が続出、読めなくなったのでなく読めなかったことを知った。新聞や雑誌などは前後の脈絡でおおよその見当はつく。書き手の意思もほぼ汲み取れる。ところが書き手にこだわりが有ったりするともうだめである。たとえ文意は取れても音読にはたえられない。
我が家にも辞書が無いわけではない。漢字辞典もあれば、国語辞典も有る。類語辞典や少々古いが広辞苑(第三版)もある。大概のものは漢字辞典で何とかなるのだが、宇江佐真理著の「卵のふわふわ」などに出て来る「窘(たしな)める」とか「詰(なじ)った」「倦(う)んでいた」などは読みがわかれば国語辞典で確かめられるが、漢字辞典から送りに合致した読みを捜すのは大変だ。
そんなおり「これまでの漢和辞典は中国の言葉、とりわけ古代中国の言葉を読むための辞典であった。……これからは、漢文を読むには漢和辞典、日本語文中の漢字を読むためには『日本語漢字辞典』ということになるだろう。……本書は『漢字は日本語である』を宣言する書である。ここまで来るのに一五〇〇年かかったということである。」というこの本の宣伝にめぐり合った。
さっそく大手の書店に問い合わせたが、もっか増刷中で在庫ゼロ。完成は三月になると。物好きだから県立図書館(市内の図書館には無かった)に出向きいくつか引いてみた。使いこなしたわけではないから目からうろこというほどではないが予約を入れた。
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