−津波てんでんこ

著者は、岩手県三陸海岸に生まれ、明治の三陸津波で一族9人が溺死。自らも少年時代に津波や東北大凶作を体験。1986年以降、「歴史地震研究会」会員として著作と津波防災活動に従事してきた。

一見奇異なタイトルだが「てんでんこ」には、「各自が銘々に、それぞれに」という本来の意味に加え、「よし、ここは、てんでんこにやろう」とか「てんでんこにしよう」という、お互いの了解のうえで「それぞれに」とか「別々に」(逃げよう)というニュアンスを含んだ、「勝手にしろ」という突き放した意味ではなく津波のときには、お互いの了解のうえで、親でも子でも、てんでんばらばらに、一分、一秒を大事に急いで逃げ(ろ)……、という「本書の核心」が込められている。

氏は、明治三陸津波=1896(明治29)年6月15日(旧暦5月5日)。岩手県の被害だけで(全半壊流失6,000戸、一人の生き残りもない全滅戸数728戸、溺死者数18,158人)に及び、元の人口を回復するのに20年以上もの歳月を要した=を筆頭に、他に七つの大津波関東大地震津波−1923.9.1、昭和三陸津波−1933.3.3、東南海地震津波−1944.12.7、南海地震津波−1946.12.21、昭和のチリ津波−1960.5.23〜24、日本海中部地震津波−1983.5.26、北海道南西沖地震津波−1993.7.12)などの資料を丹念にあたり「命のほかに宝はない」、「素早く立ち上がり、全力で逃げる」ことが人的被害を減らす最大の教訓だ、と強調する。

ところが、これがうまく行かない。地震があると警報を出す。出しても津波は来ない。そのうち、警報を聞いても避難しなくなる。「体験の風化」である。津波のスパンは長いから、三代四代と続けば体験も風化する。そこを乗越えて被害を少なくする道は「防災教育」以外にない。歴代の政府や防災行政の当事者、学者研究者は、地震津波のメカニズムの解明や監視システムの研究や開発などには熱心に取り組んできたが、情報の受けてである住民教育にはあまり熱心ではなかった。その反映が、避難勧告や避難指示が出ても住民がなかなか避難しないことにつながっている、と説く。
気象庁津波情報の精度が問題、「これでは狼少年になる」などと物知り顔でいた身が恥ずかしい。考えてみれば、津波の被害がわが身に及ぼうとしているのに「警報」を聴いても避難しない人などいるはずもない。避難しない人は「私は大丈夫」とたかをくくっているからだ。こういう人をなくすことが防災教育なんだろう。あらためて「防災行政の軸足が防災教育」に向くことを願うばかりである。